伝説のセメントマッチ、猪木vsペールワン!それは総合格闘技が存在しない1970年代に行われた命懸けの真剣勝負です。なぜ危険なガチンコ試合が行われたのか?!今回はその経緯・真相に迫る!
アクラム・ペールワンとは?
アクラム・ペールワンはパキスタンの英雄として有名で、1950年代の初めから兄弟と共にパキスタンでプロレスラーとなり、パキスタンプロレス界を牽引する存在となりました。パキスタンではカリスマ的存在だったと言われています。
アントニオ猪木vsアクラム・ペールワン
当時賛否両論あったアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦。この試合を見たパキスタンの英雄アクラム・ペールワンは猪木に挑戦を表明します。ペールワンは猪木とアリの真剣勝負に高ぶるものがあったのでしょう。
猪木はペールワンの挑戦を受け、新日本プロレス主催の興行ではなく藤原喜明やミスター高橋など複数のスタッフと共に現地パキスタンに乗り込みました。
そして1976年12月12日、カラチのナショナルスタジアムで、アントニオ猪木VSアクラム・ペールワンの異種格闘技戦が実現します。
なんとこの試合は当時のパキスタン大統領も観戦!スタジアムにはペールワンの雄姿を一目見ようと7万人もの観客(パキスタン人)が集まり、リング周辺はライフルを持った兵士に囲まれているというカオスな空間!
さらに猪木陣営は単なる海外でのプロレス興行と思い込んでいましたが、試合の数時間前に初めてペールワン陣営から「ノーブック勧告」を突き付けられたとのこと。
つまり危険な敵地でいきなりセメントマッチ!
ルールは5分の6ラウンド制で、先に2本先取したほうが勝利者となるというもの。他は通常のプロレスルール。
1R 試合は開始直後から異様な雰囲気で、組み合ってからのグラウンドでの攻防が中心となります。猪木は腕十字固めを決めますが、ペールワンはギブアップせず!猪木曰く「ペールワンは関節が異常に柔らかかった」とのこと。
2R 猪木はペールワンの戦意を喪失させるためにグラウンドで目突きを仕掛けます。しかしペールワンも猪木の腕に噛みつき凄惨な展開に。
※どちらが先に仕掛けたかは諸説あります。
3R 猪木はペールワンの腕をアームロックで決めます。ギブアップしないペールワンをそのまま捻り上げ脱臼させ勝利!猪木曰く「何かが潰れるような鈍い音がした」とのこと。
両陣営が入り乱れる中、猪木は…
「折ったぞー!」
と叫びます。
猪木本人は興奮のあまりほとんど記憶がないとのこと。ふと我に帰った瞬間ライフルを携えた兵士の姿が目に入り、急に恐ろしくなったと後日語っています。
目撃者の証言
リング上で叫ぶ猪木の表情は、すでに正気のものではなかった。
ミスター高橋 談
ペールワンの勝利を信じて熱狂的な声援を送っていた観衆が一気に静まり返るのを感じ「もう俺たちは日本に帰れない」と絶望さえ覚えた。
藤原喜明 談
危険な状況での試合
YouTubeの「獣神サンダー・ライガーチャンネル」では藤原喜明がパキスタンでの危険な状況を語っています。セコンドも命懸け!
まとめ
総合格闘技がない時代に真剣勝負どころか命がけの試合。
猪木は凄い!そして狂気だ!
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