巌流島は宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした地として有名で、山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ無人島です。正式な島の名称は船島。
実はこの巌流島で、新日本プロレスは二度に渡り試合を決行しています!
1987年のアントニオ猪木 vsマサ斎藤、そして1991年の馳浩 vs タイガー・ジェット・シンです。今回は伝説の死闘となったこの巌流島での二試合を紹介します。
アントニオ猪木 vs マサ斎藤
あのアントニオ猪木と当時遺恨のあったマサ斎藤が、初の巌流島プロレスを決行!無観客試合で、時間は無制限、ノールールで行われました。当時、公私ともトラブルを抱え、自殺も考えていたアントニオ猪木ですが、突然「武蔵と小次郎の決闘」が頭に浮かんだそうです。そしてこの決闘をプロレスでやることで、自らの危機を乗り越えたいと考えたことが発端!猪木は決闘の2日前に離婚届を提出し、身辺整理をしてからリングに上がりました!
出典:週刊プロレス
1987年10.4決戦当日を迎えます。試合には山本小鉄と坂口征二が立ち会いました。午後4時30分、山本小鉄が試合開始の合図を送り、マサ斎藤がリングに上がりますが、猪木はまるで武蔵のようになかなか姿を現しません!そして約30分後、猪木はようやくリングに登場し、ついに試合が開始!
出典:新日本プロレス公式サイト
試合はグラウンドでの一進一退の攻防が1時間以上続き、午後6時になった時、照明代わりに、コーナーポストにかがり火が立てられ幻想的な雰囲気に!試合開始から2時間が経過すると、頭突きとパンチの応酬で両者額から出血!両者ともグロッキー状態になりましたが、最後は猪木がマサ斎藤にスリーパーホールド!2時間5分14秒、猪木のTKO勝利で決着となりました。この試合で両者は、脱水症状や骨折などの怪我を負い、担架で病院に運ばれました。
観客がいないので派手な大技を出す事も、試合展開を変えることもない…まさに死闘!
馳浩 vs タイガー・ジェット・シン
1991年末、翌年の1992年1.4東京ドーム大会のメインイベントにおいて、アントニオ猪木 vs タイガー・ジェット・シンが決定しかけていました。しかし若手の成長株であった馳浩が、猪木に対戦をアピール!そしてアントニオ猪木との1.4東京ドームでの対決権を賭けて、馳浩 vs タイガー・ジェット・シンが巌流島で実現します。無観客試合、時間無制限、ノールールの決戦が再び!
1991年12.18決戦当日、立会人は巌流島経験者のマサ斎藤!14時過ぎに、馳が先にリングに上がります。しかし、シンは控室として使用している仮設テントから一向に姿を見せません!シンは一度テントから出てきますが、スクワットをしたり、リングに背を向けて海に向かって祈りを捧げまたテントに戻り、焦らし作戦に!この間に馳は、なぜかトップロープを全て外しますが、シンの焦らし作戦の効果で気が動転したのか?!
やがてシンは何を血迷ったのか、自らの仮設テントに放火!燃え盛る炎の中からサーベルを振り回し登場!まさに“インドの狂える虎”!
出典:YouTube
試合の序盤はリング上での攻防が主体でしたが、中盤から鬼気迫る展開に!リング外でシンがサーベル攻撃を仕掛け、馳は大流血!グロッキー状態に追い込まれた馳ですが、息を吹き返し怒りの反撃に出ます。馳も凶器で襲いかかり形勢を逆転し、スリーパーホールドで締め上げます。
その後も一進一退の血みどろの死闘は続きましたが、終盤には両者とも再度リングイン。ここで馳は、試合前に自らが外したトップロープで襲いかかります。(なるほど!これがやりたかったのか)しかし、シンにあっさり奪われ逆に首を絞められます。最後は馳の起死回生のバックドロップが炸裂し、とどめの裏投げでシンを大の字に!1時間11分24秒、馳のTKO勝利で決着となりました。
やはり凄惨な試合に…まさに死闘!巌流島恐るべし!
まとめ
巌流島での無観客試合は死闘になる!
※巌流島での無観客プロレス試合は、今回紹介した新日本プロレスの二試合以外にも、FMWが1992年6.30に行った試合で、大仁田厚 vs タイガー・ジェット・シンのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチが実現しています。
※巌流島で通常のプロレス大会(観客あり)が一度だけ開催されています。初代タイガーマスクが2012年5.5にレジェンド・ザ・プロレスリングの大会を開催、約3000人の観客が集まりました。