昭和の異種格闘技戦といえばアントニオ猪木ですが、あのジャイアント馬場も一度だけ異種格闘技戦を行っています。しかも相手は馬場よりも大きい226cmのラジャ・ライオン!今回は伝説のジャイアント馬場異種格闘技戦を考察!
ラジャ・ライオンとは?
ラジャ・ライオンは1966年生まれのパキスタン出身の空手家。自称バンドー空手なる空手の王者。身長ではアンドレ・ザ・ジャイアントを上回る226cmの大巨人!
ジャイアント馬場vsラジャ・ライオン
1987年3月、突如ラジャ・ライオンからジャイアント馬場に挑戦状が届き、馬場はこの挑戦を快諾。1987年6月9日、日本武道館にてジャイアント馬場vsラジャ・ライオンの異種格闘技戦が決定します。
ルールは3分10ラウンド、勝敗はKOかギブアップのみ、フルラウンド決着がつかなければ時間無制限1本勝負での延長戦という完全決着ルール!
当時ラジャ・ライオンは21歳で馬場は49歳と年齢差もあり、身長も日本を代表する巨人である馬場より17cmも上回ります。一見、馬場が不利とも言えるこの状況…一体どうなってしまうのか?!
ついに試合開始のゴングが鳴った!
積極的に前蹴りを繰り出すラジャ・ライオンだが…
開始10秒:転倒して自爆
開始22秒:再び転倒して自爆
↓
足を捻って捻挫!
えっ?!えっ?!?えっ?!
空手家なのに逆水平チョップ!
えっ?!えっ?!?えっ?!
そして巨人vs巨人は超スローな戦いに!
(YouTube上のコメント欄には2倍速で見ることをオススメするコメントも)
そして見せ場は突如きた!1ラウンド中盤、ラジャ・ライオンのハイキックが馬場の顔面を捉えた!
あの209cmの馬場にハイキックを決めたのはラジャ・ライオンだけでしょう。
ラジャ・ライオン、カッケーよ!
しかし試合結果は2ラウンド腕挫十字固めで馬場の勝利。
ラジャ・ライオンにとっては苦い敗北となりましたが、まだ21歳の若輩巨人で伸び代があります。身も心も大きい馬場という老巧巨人から得るものは大きかったはずです。
そして試合直後タイガー・ジェット・シンが乱入する場面もありましたが、分かりあった巨人同士の絆は強く、馬場とラジャは固い握手で健闘を称え合いました。
ラジャ・ライオン その後
馬場との異種格闘技戦後、プロレスラー転向を目指し全日本プロレスに練習生として入門。しかしデビューすることなく全日本プロレスを去りました。
その後はカレー屋で働いているという情報が出回りました。
※そもそも空手家ではなく、元々カレー屋の店員という噂も…。
まとめ
王道にかかれば、格闘技も「明るく楽しく激しいプロレス」になる。