考察

【眼窩底骨折】長州顔面蹴撃事件とは?前田日明暴走!その経緯・真相に迫る!

昭和のプロレスは一線を越す試合も多く、問題になる事件もありました。その中でも特に有名なのが前田日明による長州顔面蹴撃事件です。長州顔面蹴撃事件とは一体何だったのか?今回はその経緯・真相に迫る!

長州顔面蹴撃事件とは?

1987年11月19日、新日本プロレス後楽園ホール大会、長州力、マサ斎藤、ヒロ斎藤vs前田日明、木戸修、高田延彦というタッグマッチで事件は起こりました。

動画3:15くらいから長州が木戸にサソリ固めを決めようとします。 

長州が木戸にサソリ固めを決めようとした時、前田が背後から長州に容赦ない顔面蹴り!

 

 

至近距離アングルの動画。顔面蹴りの衝撃音がエグい!

長州はサソリ固めを外し怒り心頭!右目がパンパンに腫れ上がった長州は前田に詰め寄り顔面パンチを叩き込見ます。しかし前田はさらに長州を煽り、自分の頬を指さして「ここに殴ってこい」とばかりに挑発!

選手も混乱し試合は中断。不穏な空気となり場内は騒然となります。

長州は試合を何とか成立させようと、リキラリアットで高田から3カウントを奪い試合を終わらせましたが、長州はこの試合で眼窩底骨折という全治1ヵ月の重傷を負いました。

この事件を重くみた新日本プロレス上層部は、前田を無期限出場停止の処分に!そして1988年2月、猪木が「プロレス道にもとる」と語り、前田は新日本プロレスを解雇されることになりました。

長州顔面蹴撃事件 経緯・真相!

1985年、存続が厳しくなった第1次UWFの選手は新日本プロレスと業務提携。1986年1月から新日本に参戦し、前田はリング上で「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とマイクアピール!ロープワークを拒み蹴りや関節技にこだわったUWFスタイルと従来の新日本スタイルがかみ合わず、緊張感のある試合が頻発することになります。

一方、長州はジャパンプロレスを立ち上げ、全日本プロレスにいきなり移籍、そしてまた新日本プロレスに復帰という自己中心的な動きでした。そんな中、長州は藤波や前田を巻き込んで「世代闘争」を提唱し、猪木を中心とするナウリーダーvs長州、藤波、前田らのニューリーダーという構図に。しかし長州は「世代闘争」から一方的に撤退してしまい、単独での動きに方向転換!結果、長州に振り回されることになった前田は長州の姿勢を「言うだけ番長」と罵り、確執が深まります。

さらに長州顔面蹴撃事件の伏線として、1983年11月3日、蔵前国技館での前田日明vs長州力のシングルマッチがあります。この試合で前田は、長州のマッチメイク破りの「サソリ固め」で腰を痛めてカチンときたというのです。

また前田は当時の全日本プロレスの天龍源一郎vs輪島大士に影響を受けたといいます。天龍が輪島に平然と顔面蹴りを連打するのを見て衝撃を受け、前田と長州ならもっと面白くなると思ったようです。

ちなみに前田本人は「長州さんに蹴りを入れる前に肩を叩き今から蹴りますよと合図を送ったが肩を叩かれた長州さんが横を向いてしまった」よって「事件ではなく事故」と語っています。

長州と前田、歴史的和解へ!

新日本プロレス50周年の記念セレモニーで二人は顔を合わせており、現在は完全に和解!

※前田は事件の後すぐに直接謝罪し、実は年に数回会う間柄だったようです。

二人ともいい顔をしています。

まとめ

雨降って地固まる。

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